私の経歴について③-1(大手委託給食時代その1)

どうもこんにちは!今回も私の経歴を細かーくお話していこうと思います!
ざっくり、私の経歴は以下の通りです↓↓
(今日の話題は★にしてます!〇は過去記事をご覧ください!●は今後のお楽しみ♡)

中小企業の委託給食(新卒~2年ちょい)
   大量調理、献立作成、発注業務、食数管理etc…

私立保育園の調理員代替の契約社員(1年ちょい)
   大量調理、離乳食作成、おやつ作成、献立作成、発注業務、給食だより作成etc…

大手委託会社(3年半)
   大量調理、献立作成、発注業務、食数管理、労務管理(責任者業務)etc…

消化器専門病院の病院管理栄養士(3年ちょい)
   患者管理、栄養指導、NST業務(資格はないよ)、他職種研究etc…

併設施設ありのケアミックス病院の管理栄養士(~現在:2年目)
   患者管理、栄養指導、カンファレンス、サマリー作成、学会発表etc…



…とまぁ、割と栄養士・管理栄養士業務の大まかな事はやってきたかなぁと思います。
今日の話題は大手委託給食時代のお話です。

委託給食に舞い戻った理由 ~まだ経験が足りない!~

保育園を辞める少し前、大手委託給食の人事に勤めていた大学時代の友達に会い、ぽろっと委託に戻ろうかなって話すと、紹介制度あるからうちくる?って話になりました。そこからはトントン拍子でしたね。すぐに採用が決まりました。

どうしてまた委託給食に戻ったかというと、保育園を経て、現場作業はかなり成長した自負がありました。でも、やっぱり大量調理と保育園での調理は全然違う。自分が成長したと思う部分が大量調理で通用するのか、あとは色んな場所で経験を積みたいとの思いから委託給食に戻ってみようと思いました。

なので、面接の時に「色々な場所を経験したいので、慣れたらで良いからヘルプに行きたい」と伝えていました。ただでさえ人手不足なのに、自分からそう言ってくれる人材って貴重だったんでしょうね。すぐ採用の返事をいただきました。(でも当時住んでた家の近くに事業所がなく、どのみち引っ越しが必要との事で、県をまたいで結構なへき地に行きました。私的にはどこでも異動OKのスタンスだったので良かったのですが笑)

そんなこんなで大手委託給食に入職しました。ここでは計3年半、3ヵ所の施設と1ヵ所のヘルプを経験しました。あまりにも多いので、2回に分けて記事にしようと思います。

1ヵ所目(10ヶ月):併設老健あり個人病院 ~意外にも平和な日々~

1か所目はへき地の老健併設病院でした。規模はあまり大きくなく、病院で100食/日、老健が150食/日、昼はプラスで通所リハと障害ケアという感じでした。規模は小さいけど、通所と障ケアは選択食があり、日替わり定食(常食)、カレーor丼、麺が選べる、という感じでした。何故かトンカツだけは既製品でしたが、基本的には手作りメニューでした。ソフト食やおやつも全て手作りです。また、温泉卵を作る機械があったり、カレーや丼の具は、ある程度まとめて作って真空パックにしていたので、その機械もありました。中々ない設備だったなと思います。
この病院では直営の管理栄養士がおらず、委託から出向という形でいました。病院、老健それぞれ1人ずつですね。出向の栄養士が献立等の栄養士業務をしていたので、私は現場がメインの配属でした。

また、ここはへき地という事もあり、社員はほぼ配属で来た若い人が多かったので、仲が良くて仕事が出来る人ばかりでした。和気あいあいとしてましたね。病院直営の管理栄養士がいないのも、和気あいあいの一因だったと思います。
この職場では皆んな動けるし理解が早いので、本当に平和でした。委託では珍しいストレスフリーな感じでしたね。ただ、問題もありました。出向の栄養士さんの負担がすごかったんです。朝6時くらいから夜7時過ぎくらいまでいましたね。ひどいと遅番が帰る8時を過ぎるまで…。でもそれを、皆んな疑問に思わないんですよね。出向栄養士さんにも、そう言ってくれるのは1人(私)だけですって言われたし。それに対しては、たまに面談に来る本社の人に何度か訴えていました。こうしたらどうでしょう、という改善策の提案まで言ってましたね。まだ入職して数ヶ月の人間だったので、今思うと図々しい事したなと思います…。でも、それを真摯に受け止めてくれた良い上司でした。後に本社勤務されたみたいなので、本当に仕事出来る良い管理職の方だったんだと思います。この時に上司に意見を受け入れてもらえた事が、問題点を洗い出す行動に自信を持たせてくれたと思います。

また、面接で伝えていた通り、この頃からヘルプにも行かせてもらえました。それこそザ・ブラックみたいな老健施設に行きましたね。現場に入りつつ、エリアマネージャーから、その老健所属の栄養士が病んでいるから、話を聞いてあげてって言われていたので、時間が出来たタイミングで色々話を聞いたりしていました。それしか出来なかったけど、私の過去の経験を話すと、元気出してくれました。笑
現場経験もしながら、後輩達(年齢的に)のメンタルケアにも一役買えたかなと思います。

ここでの良かった点は、色々な設備を使った調理経験が出来た事と、小規模だからこそ、イベント食にとことんこだわれたところですね。めちゃめちゃ手が込んでいたし、皆んなで一致団結して作り上げる感じがすごく楽しかったです。
あとは、ヘルプに行かせてもらえた事。へき地だったけど、仕事自体には満足していました。

また、自分の力を試すという目的についても、入職直後から「こう動けば早い」みたいなのが浮かんでスイスイ作業出来ていたし、周りからも「動ける人がきた!」って反応もらっていたので、保育園で培ったものは大量調理の現場でも生かせる!と実感しましたね。これも結構大きかったです。(あくまで主観ですが…でもそもそも動けてなかったらヘルプ行かせてもらえてないと思うし、ある程度仕事出来ていたと捉えてます。)

私のキャリアで初めて心から仕事が楽しいと思えた事業所でした!

2ヵ所目(約2年):中規模のケアミックス病院 ~ブラックに逆戻り~

入職して1年弱くらいの頃、1ヵ所目の出向栄養士さんが異動する事になり、私が出向の栄養士になるべく引継ぎを行っていたのですが、その出向栄養士が1ヶ月で戻ってくる事になり、私が代わりに異動になりました。
そこはケアミックス病院で、病院食が540食/日、職員食が昼のみ20食、通所リハ、障害ケアが昼のみ合計で50食くらいでした。(老健併設してましたが、老健は別の委託が入ってました)そこで献立作成、発注、納品などの栄養士業務を行う事に。
病院直営の栄養科長(以下科長と呼びます)との献立のやり取りが大変という噂でしたが…

思った以上でしたね。科長が献立確認してくれるのですが、条件がめちゃめちゃ厳しくて。
まず、エネルギー量やたんぱく質、脂質の基準値って、大体1週間や月平均で基準に合うように献立作成するのが基本と思うのですが、この病院では1日単位で合わせないといけない。また、野菜は1日300g以上使用する事、一度使った食材は人参と玉ねぎ、青ねぎ以外は2日間空けないと使えない等々、献立の縛りがかなり多かったです。特に食材が制限される軟菜や潰瘍食は本当にキツかったですね。
それに加え、私が来た時、あまりにも科長からOKが出なかったせいで、2週間後の献立が出来ていない状況でした。ただでさえ献立作成のブランクがあるのに、今から必死にやって発注が間に合うかどうか…。

しかも科長はかなり愛想がなく(極度の人見知り?)、自分と合わないと判断したらシャットアウトして人を変えるようすぐ要望を出す人だったので、そこも中々大変でした。エリアマネージャーがいつも、「ここはいつ来てもお通夜みたいな雰囲気だよね」というくらい、栄養室の空気はいつも重たいんですよね。

それに加え、事業所責任者(栄養士)は、献立が大変なのを知っているから献立作成に関わろうとせず、助ける気もない人でした。よく言えば仕事をきっちり分けるタイプ。だから我関せずで献立に文句付けてきたり、発注ミスは発注した人の責任だから全部自分でどうにかしろ(=自分で買い出し行って切り込みしろ)、という非協力的なタイプでした。この事業所の献立担当は、そんな感じで責任者と科長に挟まれて辞めていく人が多く、そりゃそうだろうなーと、数日で思いました。そりゃ出向栄養士さんも1ヶ月もたないよな、と…前事業所とのギャップが大きすぎる。

さらに追い打ちをかけるように、科長からエリアマネージャーに、「6週→8週サイクルにして」との要望がありました。いやいや、私まだ来たばっかなんだけど…しかも2週間後の献立出来てないんだけど…って感じでしたね。さすがにサイクル作るまではエリアマネージャーも一緒にやってくれました。

ここではとにかく仕事量の多さが尋常じゃなかったです。献立だけでも負担が大きいのに、発注、納品(1日約40ケースを毎日1人で1時間かけて納品してました)、配膳チェック、職員食準備、現場作業に入る(時々)等々、どう考えても1人の負担が大きすぎる。せめて納品だけはあと1人一緒にしてほしいと何度かお願いしましたが、責任者に毎回却下されました…現場が忙しいから無理と。現場が足りない時は求めるくせに、こっちが求めても助けてくれないのかよ…(現場が優先って分かっててもそう思っちゃいますよね。人間だもの。)

おかげで毎日残業、持ち帰り、休日出勤してましたね。ひどい時は日付超えて帰宅とか、約20連勤とかしてました。(1~2時間くらい来て作業して帰る、とかも入れたらもっと連勤でしたけどね、、)

1年目は苦労しましたが、毎日数字と格闘するうちに、食材の栄養量が感覚で分かるようになってきたからか、2年目からは少し献立を俯瞰する事が出来るようになりました。色々縛りが多い中でも、どうにかもっと良い献立が出来ないか?と考え始め、献立作成講座に行ったり、色々と外のセミナーに行く事が増えましたね。あとは、会社が社員選抜して本社で行うリーダーシップ研修に参加させてもらったりと、キャリアアップの行動が多かった気がします。(まぁでもあまり献立に反映出来る事はなかったですけどね…)

ここでの良かった点は、食材の大体の栄養量が身体に染み付いた事と、科長とのやり取りで交渉術が鍛えられた事です。献立のやり取りは、基本的に付箋を使って行っていたのですが、献立って毎日の事なので、どーーーーしても縛り通りにいかない日が出てくるわけですよ。その時に付箋でのやり取りだけだと、必ず訂正依頼がきます。その時は直接交渉に行かないといけないんですよね。「こういう理由だからここはこの食材以外難しいです」っていう説明ですね。その時にいかに科長を納得させる説明をするか。そういう事をずっと考えていた時期だったんです。ある意味成長しましたね。科長かなりの堅物だったので。。

あと1ヵ所異動する事になるのですが、長くなったので今回は一旦ここで区切ります。
第2弾は最後の事業所の話と総括です。次回もお楽しみに★

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