どうもこんにちは!今回も私の経歴を細かーくお話していこうと思います!
ざっくり、私の経歴は以下の通りです↓↓
(今日の話題は★にしてます!〇は過去記事をご覧ください!●は今後のお楽しみ♡)
〇中小企業の委託給食(新卒~2年ちょい)
大量調理、献立作成、発注業務、食数管理etc…
★私立保育園の調理員代替の契約社員(1年ちょい)
大量調理、離乳食作成、おやつ作成、献立作成、発注業務、給食だより作成etc…
●大手委託会社(3年半)
大量調理、献立作成、発注業務、食数管理、労務管理(責任者業務)etc…
●消化器専門病院の病院管理栄養士(3年ちょい)
患者管理、栄養指導、NST業務(資格はないよ)、他職種研究etc…
●併設施設ありのケアミックス病院の管理栄養士(~現在:2年目)
患者管理、栄養指導、カンファレンス、サマリー作成、学会発表etc…
…とまぁ、割と栄養士・管理栄養士業務の大まかな事はやってきたかなぁと思います。
今日の話題は保育園時代のお話です。
子供は可愛いけど仕事は可愛くない!? ~私立保育園の調理員時代~
委託給食を辞め、今度は保育園に勤める事にしました。
理由ですが、まず前提として、新卒時代の職場は地元ではありませんでした。その頃の病院管理栄養士さんに、散々「この地域の旬を知らないんだから勉強しろ」「この地域の食材を知らないんだから勉強しろ」と言われ、一度患者さんにも、「この辺の人間じゃないんだから、この辺の味なんか分からないだろ」と言われたりしていました。(もちろん自分なりには勉強しているつもりでした)
委託給食は冷凍食材を使う事が多いから、旬を取り入れるってかなり工夫が必要。ならば、食育を重視する保育園に行けば、そういった事が肌で感じられるのではないか、と考えました。あとは委託給食で人間関係に挟まれる事に嫌気がさし、子供たちに癒されながら仕事しよう、と思った事ですね。
ただ、子供たちに癒されながら仕事…というのは甘かった事をこの後実感します。。。(もちろん働きやすい保育園もたくさんありますよ!!保育園で働く友達はたくさんいるし。)
私の勤めた保育園は私立の保育園でした。食数は朝おやつ:30食、昼食・昼おやつ:約100食+職員10食、延長保育用おやつ:5~10人分(うち軽食約2人分)という感じでした。(当時の延長保育は2段階だったので、遅い子たちにはカレーや焼きそばといった軽食を作っていました)
人数は4人で、責任者の栄養士1人、私、週3フルパート1人、午前パート1人、という感じでした。
どこの地域も一緒なのか分かりませんが、私が当時いた地域では、通常保育協会から配布される献立をそのまま利用する流れでした。が、私の勤めた保育園の場合、食育との事でそれに+1~2品追加があり、果物も毎回付ける感じで(配布献立では毎回は付かなかった)、かなり品数が多かったように思います。でもまぁ大元が配布献立なのは変わらないので、献立作成はその中から選んで組み合わせる、というやり方だったので、病院食の献立よりはまだ楽ではありました。
さらに、月一回釜炊きご飯・誕生日会、年間イベントで追い込み漁(園児が獲ってきた魚をさばく)、収穫祭(採れたものを使用する)、運動会や夏祭りの準備…等々、その都度に追加業務があり、保育園時代は委託給食時代よりも断然現場メインという感じでした。(そもそも調理師枠の産休代替でしたしね…)
では、次から私の保育園時代の中身に入ります。
自分の仕事の出来なさに凹む日々 ~入職から上司が辞めるまで~
私が入職したのは夏ごろでした。そもそも保育園って大体栄養士か調理師の枠でしか募集がなく、中途時期だとさらに少ない。本当は栄養士枠で入職したかったのですが求人がなく、産休代替の調理師枠での入職となりました。なので、給料がかなり安かったのを覚えています。(ぶっちゃけると手取り12万くらいでした…今考えると管理栄養士取った意味あるのか、って感じです。)
あと、委託給食と違って冷凍野菜どころか冷凍食材はほぼなく、全て生鮮品使用。そして前日の切り込みというものが存在しないので、当日切りながら同時並行で調理していく流れでした。
新卒時代ではあまり触れなかったのですが、私本当に現場の仕事が苦手だったんです。そもそも段取りが悪い。遅い。委託時代は調理師さんに尻叩かれながら、言われるがままに動いていた感じですね。新卒時代に直接言われたけど、自分でも栄養士向かないんじゃないかって思った事もありました。それでもやりたいからやるしかない、って考えの方が強かったんです。
ただ、保育園の方が明らかに少ない人数で回すので、それはそれは顕著に仕事出来ないのが浮き彫りになって、しかも切り込みも当日するし、厨房業務だけで言うと委託給食よりも当日やる事が圧倒的に多い!!当時の栄養士さんには本当に迷惑かけたな、と思います。めちゃめちゃ良い人だったので、自分でも大いに凹みました…
栄養士さんが系列保育園に出張する時、一人で出来るくらいの仕事を任されて抜けられたのですが、ほぼ定時で帰って来られた時に、私の仕事がまだ全然終わっていない事に呆れられた事があります。本当に凹む…
半年くらいはそんな調子で、成長しないままだった気がします。何だかんだ無意識に甘えていたんじゃないかなって思います。栄養士さんもパートさんも出来る方々だったので。
しかし、翌年の4月に栄養士さん辞められてしまいました…
ブラック保育園と化した怒涛の後半 ~契約社員なのに厨房責任者へ~
4月に責任者兼栄養士さんが辞めてしまい、社員が実質私一人になりました。暗黙の了解で私が責任者も兼務させられたんですね。(今の私なら絶対契約内容について異議を唱えていますが、当時の私は無知で未熟だった為、それが当たり前と思って受け入れていました。給料変わらなかったですしね…)
そこからは本当に怒涛の日々で、これまた記憶飛ぶレベルに忙しかったです。毎日開園から閉園までいて、保育園にいる間は現場をしないと回らない為、書類や献立は休日に必ずパソコンを持って帰ってしないと、仕事が回らなかったです。ここまでして、4月の残業は7時間しか付けて貰えなかったです…(園長先生に「7時間も付けてあげたから!」みたいにドヤられましたが…足りねぇよって感じですよね。)
しかも1人になって2週間後に大地震が起きて、私の地域でも震度5弱あり、その対応に追われたり。。踏んだり蹴ったりとはこの事だと思うレベルでしたね。
さて、1つ前で私は現場が苦手という話をしましたが、この頃はそもそも職員の絶対数が足りず、さらに私の手が遅いというダブルパンチで本当に時間が押しまくってました。15時から1人になって、洗浄と延長おやつの準備(軽食作りとお菓子と飲物)と明日の準備を全部1人でしないといけないから、現場が終わるのが18時半というのもザラでした。。。この状況が毎日毎日続き、ある日ずっと耐えていたものが遂に堪えきれなくなり…
15時過ぎて1人になったタイミングで、急に涙が止まらなくなったんです。
絶望に近い感情でした。一回泣き切らないと動けないくらい嗚咽しながら泣きました。多分10~15分くらい泣きましたね。泣きすぎてもう涙が出ないくらいのタイミングになって、ふとシンクに溜まった洗い物を見た時に、急に冷静になって、スンってなったんです。その時に、悟りました。
「泣いていても誰も助けてくれない!自分が動かないと終わらない!泣いてる暇など無い!!」
何かが天から降ってきた感じというか、逆に色んなものが吹っ切れた感じというか、そういう感覚だったんですけど。この考えが浮かんだ日から、今までの自分が何だったのかと思うレベルで現場作業が早くなったんです。明らかに段取りが良くなりましたね。極限の状況だった事で自分が変わる必要が出てきて、必然的に優先順位を考えて行動出来るようになりました。
その後からは甘ったれた自分がいなくなり、嘘のようにテキパキ働けるようになりました。集中力も上がりましたね。人が足りないので時々保育士さんが盛り付けを手伝ってくれる事があったのですが、周りが見えるようになったから、指示出しも的確に出来るようになった。
責任者としての貫禄が付いた感じですね。
この体験は本当に不思議でしたが、この職場で培った一番の財産だと思っています。
保育園時代まとめ ~良かった事・悪かった事~
そんなこんなでまとめいきましょう!まずは良かった事から!
〇良かった事
・旬の食材や色々な調理の基本的な調理技術が身についた
・天啓が降りてきて現場作業がテキパキ出来るようになった事
・人に指示出し出来るようになった事
・報連相が身についた事
まずは私の目的だった旬の把握は、丸1年生鮮食品を扱った事やおたより作成などでたくさん調べたおかげで、かなり勉強になりました。少なくとも委託給食ではここまで勉強できなかっただろうなと思います。そしてこれは棚ぼただなと思ったのが、基本的な調理技術の向上。委託給食は冷凍野菜やカット野菜を使用する為、あまり手間はかからなかったけど、保育園では全て当日に手切り。最初の頃は切るのが遅いって言われていたけど、最後らへんはだいぶ早くなりました。あとは漁で獲ってきた魚を大量にさばいたりとかも良い経験でしたね。
そして何といっても、やはり栄養士がいなくなった後の自分の変化が一番良かった事だし、これがなかったら、今の自分はここにはいないと思えるレベルです。まさに「ピンチをチャンスに」した良い例と思います。
また、報連相については上で触れてないのですが、私の報連相の基礎はここで身についたな、と思う程に報連相に厳しい職場でした。「これくらい言わなくてもいいでしょ」みたいなものは一切許されない感じですね。特に厨房は保育士さんや園長先生の目には届きにくい場所なので、余計に伝える事は多かったように思います。
この報連相も後のキャリアに大きな影響を与えていますね。なんせコミュニケーションの基礎なので、これがなかったら私の人間関係は円滑にいっていないと思います。
続いて悪かった事です!
〇悪かった事
・薄給&サビ残三昧というブラックの典型
・周りに味方が少なかった(厨房職員だけ)
・夏場はとにかく厨房が暑かった
1番上は本当に不満でしたね。仕事量と給料が全然見合っていなかった。加えて残業も全然付けてくれなった。特に1番苦労した4月。多分普通に付けていれば100時間は優に超えていたと思います。それを7時間。それでドヤるなって思いました。まさしくブラック企業でしたね。
あと2番目ですが、保育園に勤めていた方なら経験あるかもしれませんが、保育士さんってめちゃめちゃ強いんですよ。特に年齢が上であればあるほど。派閥的なものもありましたしね。そして厨房業務って分かって貰えない事が多いので、少しでも保育士側に不利なお願いをすると、断られたり文句言われたりしていました。(こっちの人数考えろよ…って思ってましたが口が裂けても言えません。絶対。)
最後は厨房内の環境ですね!配電の仕組みはよく分かっていないのですが、この保育園では、電力を一気に使うとすぐにブレーカーが落ちる為、計画節電みたいなものがありました。で、厨房で1番電力使うのが乾燥機だったのですが、乾燥機を使う時はクーラー付けちゃダメだったんです。でも皆さんなら分かりますよね?乾燥機を使う時間=お湯で洗浄作業している真っ只中…厨房内が死ぬほど暑いんですよ!そうでなくても暑いのに、さらに暑い時間帯なんです!私自身が熱中症になりかけた事もあるし、その環境がきつ過ぎて辞めた派遣社員さんもいました。(何故か私が意図的にクーラーを付けてくれない人にされたし、園長にまで私がパワハラしたと思われましたけど…いや園長は理由分かってますよね?って言いたかった…パートさんが証言してくれて疑いは晴れましたが。)
最後に ~何故辞めたのか~
辞めた1番の理由は、悪かった事の1番目ですね。薄給&サビ残。これが私が辞める事を決めた直接の理由です。契約満了する頃には栄養士の社員2人入っていたのですが、私の正社員登用の話も出ていました。でも、正社員になっても給料が安いのは目に見えていたんですね。それに残業を正しく付けてくれない。それが決定打になりました。この生活を今後も続けていける気がしなかったです。
あとは人間関係も面倒でした。派閥がすごかったし、厨房職員なので巻き込まれる事はあまりなかったけど、いずれ巻き込まれそうだなとも思ったし。こればっかりは、委託給食の頃のおばちゃん達よりたちが悪く感じました。もう1つ、人間関係でいうと、厨房職員の人が少なかろうが関係なく色々言ってくるところも、今後この人達と協力関係でいられる気がしなかったです。自分がピンチの時の相手の対応って、やられた側は強く記憶に残っちゃうんですよね。ある意味反面教師になりました。
という事で、保育園時代でした!あ!言い忘れましたが、子供たちは本当に可愛かったですよ!本当に日々の癒しでした♡あれがなければもっと早く辞めてました笑
次はまた委託給食に戻ります。乞うご期待!
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