どうもこんにちは!今回も私の経歴を細かーくお話していこうと思います!
ざっくり、私の経歴は以下の通りです↓↓
(今日の話題は★にしてます!〇は過去記事をご覧ください!●は今後のお楽しみ♡)
〇中小企業の委託給食(新卒~2年ちょい)
大量調理、献立作成、発注業務、食数管理etc…
〇私立保育園の調理員代替の契約社員(1年ちょい)
大量調理、離乳食作成、おやつ作成、献立作成、発注業務、給食だより作成etc…
〇大手委託会社(3年半)
大量調理、献立作成、発注業務、食数管理、労務管理(責任者業務)etc…
★消化器専門病院の病院管理栄養士(3年ちょい)
患者管理、栄養指導、NST業務(資格はないよ)、他職種研究etc…
●併設施設ありのケアミックス病院の管理栄養士(~現在:2年目)
患者管理、栄養指導、カンファレンス、サマリー作成、学会発表etc…
…とまぁ、割と栄養士・管理栄養士業務の大まかな事はやってきたかなぁと思います。
今日の話題は初めての病院直営管理栄養士時代のお話です。
はじめての病院直営管理栄養士 ~狭く深く学んだ消化器専門病院~
大手委託給食時代で委託給食を辞めた理由として、病院直営に応募したいきさつは書いているのですが、応募した理由はここで書きます。もちろん恩師からの紹介というのが大きかったのですが、私の個人的なキャリアステップの予定では、漠然と20代のうちは現場の経験を積んで、その後は病院直営に就職っていうのが、学生時代から考えていた事なんですね。そして、丁度ギリギリ20代のタイミングでお話をいただいたんです。本当に最高のタイミングでした。ただし、県外だったのでまた引越しが必要だったのですが、それでも挑戦したいと思いましたね。
何となくですが、長期間の委託給食勤務→病院直営への転職って、ハードル高く感じませんか?少なくとも、当時の私にはハードル高いと思っていたので、紹介って形で挑戦出来たのは大きかったなと思います。
さて、それからはじめての病院直営管理栄養士時代が始まるわけですが、私の勤めた病院が消化器の専門病院で、主に大腸・肛門の疾患に特化していました。大元の病院が別にあり、その系列病院にあたります。特にクローン病や潰瘍性大腸炎といった、大腸の難病を治療する専門病院として、その辺りでは割と有名な病院でした。
でも大きな病院ではなく、規模としては85床で、病院直営の管理栄養士の人数は私含めて2人でした。厨房は大手委託給食(私の過去の職場とは別です)が入っていて、食数は約90食/日。職員食等はなかったです。
消化器系の専門病院なので、食種はやはり潰瘍食が充実していましたね。潰瘍食だけで術後食、潰瘍性大腸炎食、クローン病食の3種類ありました。
病院の管理栄養士業務としては、ほぼ栄養指導メインという感じでした。2人で月100件前後していましたね。なのでミールラウンドはなく、ラウンドするのはNSTの時の対象者のみっていう感じでした。また、大元の病院と合同で研究発表会が毎年あり、お互いの病院が何種類かのグループに分かれて、研究を行うというものがありました。(院長等、上の立場のDr.が審査員となり、優秀賞には景品もありました。)全グループが毎年発表するのではなく、一部のグループと交互にという感じだったので、発表自体は2年に1回ペースという感じでしたね。それでも院内ではグループ毎に担当Dr.が付き、全グループ毎年発表があるので、手は抜けませんが。。
さて、この病院では一体どんな風に過ごしたのか、詳しく見てみましょう!
1年目 ~まさかのコロナ蔓延で大波乱~
さぁ病院直営管理栄養士の1年目だー!!頑張るぞー!!!…と思った矢先。
来てしまいました。コロナの大流行です(委託給食を辞める直前から何となく始まってはいましたが…)
委託給食の頃はコロナがあってもあまり関係なかったですが(まだ流行ったばっかりでしたし)入職して実感しましたね。やむを得ずですが、本来の仕事の流れとは大きく変わり、何なら普通より休まざるを得なくなった状況でした。やる気を削がれるような出来事ではありましたが、仕方なかったですし、直前まで委託給食で残業ばかりしていたので、むしろ神様が与えてくれた少しの休息だと捉えて休みを満喫しましたね笑(もちろん外には出てないですよ!めっちゃお菓子作りしてました。笑)
入職後1~2ヶ月くらいは緊急事態宣言とかもあり、栄養指導も出来ないので1人ずつの出勤が多かったんです。マニュアル見ながら最低限の仕事をする、って感じでしたね。
しかも入職1ヶ月のタイミングで、あまりないクレーム対応がありました。厄介な入院患者様がいらっしゃって、給食に関してオリエンテーションで説明が済んでいた事を、「説明されていない」と言って栄養科まで押しかけてきたんですね。(しかも説明したのは私ではなかったので、事情があまり分かっていないという…)実際病棟でも暴力や威嚇行為があったようで、栄養科に来た患者様を追うような形で、院長と病棟師長も来ました笑
まさかの入職1ヶ月で院長と師長と一緒にクレーム対応を行うって中々の経験でした。実際、3年ちょいいた間で一番のクレーム対応でしたね。結構な圧をかけられましたが、今まで意味の分からない出来事を経験しまくっていたせいで、割と落ち着いて対応出来たと思います。ある意味成長ですね!笑
緊急事態宣言明けから、ようやく栄養指導スタートって感じでしたが、多い時で1日5件くらいあるので、本当にほぼ栄養指導で終わる、という感じでした。あとは週1回NST業務を私がメインでさせてもらっていました。NST加算を取っている病院ではなかったのですが、先生が色々言ってくれるので、とても勉強にはなりましたね。でも、NSTラウンドは、この年は感染対策にて行かないという判断になりました。
まぁ1年目はかなり平和だったかなと思います。人生初めての日祝休み(保育園時代は持ち帰り多かったので…)、残業ほぼなしという環境をおおいに満喫したなと思います。
デメリットとまではいかないですが、ホワイトな分、やはり給料は下がりました。残業がないのでね。というか委託時代が残業ありすぎたのですが。そこはちょっとキツかったですね。
2年目 ~栄養指導で患者様を怒らせる~
2年目からも特に大きな変わりはなく平和でした。この年は特に平和でしたが、めちゃめちゃ記憶に残っている出来事がありました。
継続で定期的に外来栄養指導に来られている患者様を怒らせてしまったんです。私が明らかに何かした、という訳ではないのですが、毎回同じような事を言われている事と、仕事が大変な時期だったようで、恐らく精神的な余裕があまりなかったんだと思いますが、ついに堪忍袋の緒が切れたという感じでした。普段は割と無表情な感じの方でしたが、この時はめちゃめちゃ怒鳴られて、色々溜まっていたのであろう鬱憤を全部言われました。その後、本人が主治医に話し、今後の栄養指導は行わない方針となりました。
もちろんめちゃくちゃ凹みました。でも、凹んでばっかもいられないので、何が悪かったのか色々考えました。患者様の立場に立てていなかったのかな、とか、言い方が悪かったのかな、といった事を本当にずっと考えていました。
そこで私が気付いて反省した点が2つ。
1つ目は、私は褒めるのが下手だという事。
2つ目は、患者様の出来る範囲の提案をしていなかった事。
褒めるのが下手というのは、私自身が褒められ慣れていない事で、褒め方が分からない・褒める時のリアクションが分からないというところが出たかなと思いました。
出来る範囲の提案をしていなかった事については、「私には簡単な事」を他の人も出来る事として話してしまっていたと思いました。
それを克服しようと、栄養指導の本を読んだり、日々の栄養指導で試行錯誤を繰り返しましたね。
とにかくまずは「褒める事」を意識する事、そしてその人にとって丁度いい段差の階段を一歩ずつ登っていけるような提案を心掛けました。
その結果栄養指導が上手くいくようになった…かは自分では分かりませんが、でも色々なやり方を試す事や本などで知識を付ける行動をとれるようになった事は自分の財産だなと思っています。
3年目 ~研究発表会グループの世話人になりました~
3年目になると、コロナの影響はほぼなくなってきました。アフターコロナの仕事にも慣れてきた頃ですね。この年は、研究発表会グループで世話人になった事が大きかったなと思います。といっても毎年くじで決まるんですけどね。笑
研究発表会は基本的に他職種で均等に割り振ってグループが決まり、年度の初めと終わりに発表があります。月1回はスケジュールされた集まりがあって、それ以外は各グループ任意で集まるって言う感じでした。で、世話人はそのリーダー的役割なのですが…ぶっちゃけ、メンバーは世話人に任せきりになる事が多かったんですよね。
あんまり大きい声では言えないのですが、グループ活動の残業は普通の残業より安いんです。単純に法人内のスキルアップが主な役割なので大した評価にもならないし、皆んなのやる気もそんなにないんです。だから、基本的には誰も世話人になりたくないし、世話人にのっかる人が多いです。一応副リーダー的な立場の人もいるのですが、名ばかりになる事が多く、やっても資料の預かりとかだけって感じでした。(一応世話人にはその年の終わりに手当が支給されますが、それ以上の負担があるから誰もやりたがらないんですよね。)
その結果、毎年くじ引きになるんです。遂に当たってしまったーって年でした。
なので主導は私がやり、資料を作って皆んなには確認だけしてもらうっていう形を取りました。それでもこの年は割と協力的だったメンバーが多かった気がします。副リーダーは積極的に巻き込んで、資料は基本的に私が作るけど、副リーダーも横にいてもらって、話し合いながら作ったりしてました。まぁこの年の副リーダーが優しい方だったから積極的に巻き込めた気もします。笑
この年はアンケート調査を行いました。アンケート作成から配布(大体200人くらい)、集計、まとめ作業までを1年かけて行いました。協力的なメンバーがアンケートの土台を作ったり、集計用のシステム作ったりしてくれたのが助かりましたね。
最終的な発表も私がしたのですが、他のグループの方がわざわざ来られて、めっちゃ分かりやすかったです!って言ってくれたんです。しかも普段あまり関わらない方が。めちゃめちゃ嬉しかったですね。
最初は当たっちゃったなーってちょっと面倒に思っていましたが、私の主導で皆んなで協力して作り上げた事は、今思うととても良い経験になりました。
あと、この年は電カルの入替もありました。電カル入替した事ある方いますか??これ、めちゃくちゃ大変だったんですよね…基本的にシステム同士で移行出来ないものが多かったので、ほぼ手入力になりました。特に、約束食事箋の入力作業は大変でした…全食種入力しないといけなかったのと、主食と副食と朝の飲み物を別にしないといけなかったので、さらに差し引きの計算が必要でした。しかも、約束食事箋に載っている以外の栄養素の入力も必要だったので、委託給食側に依頼して、全食種の栄養素の資料を貰って、そこから主食と飲み物を引いて計算するって感じでした。め、面倒臭い…
それも物凄くカツカツなスケジュールで、1~2ヶ月くらいでしないといけなかったので、さらに大変でしたね。もちろん残業しました。でも、上司と話して残業は最大1時間までって決めて、なるべく勤務時間内に作業出来るように段取りしてました。結果何とか間に合いました。。これも良い経験です。
はじめての病院管理栄養士時代まとめ ~良かった事と悪かった事~
では、まとめに入ります!
まずは良かった事です!
〇良かった事
・病院管理栄養士の一通りの流れを知り、栄養指導の経験値がついた事
・消化器疾患の知識が深くなった事
・ホワイト企業だった事
・研究発表の世話人を務め、1つの成果を出せた事
・電カル入替という特殊事例に立ち会えた事
まずは、やはり直営管理栄養士の仕事の流れ(特にNST)や栄養指導の経験を積めた事が大きいです。しかも栄養指導については他院よりもとにかくボリュームがあったと思います。中々出来ない経験かなと思いますね。また、専門病院という事もあり、消化器疾患の知識や、大腸系なので食物繊維のセミナーの情報が多くあり、知識が深くなった事も大きいです。
あとはこれです!残業がない事と日祝確実に休めたり大型連休があった事!今までシフト制や持ち帰りをしていた私にとって、精神衛生上とても大きかったです。
あとは3年目の特殊業務たちですね。付加価値だったと思います。中々経験出来ませんからね。
委託給食から病院直営管理栄養士に飛び込んだ不安はありましたが、仕事は普通に出来てたと思います。(上司も「仕事出来る良い人が来た」と言ってくれました!お世辞かもですが、それでもわざわざそこまで言わないかなとポジティブに考えて素直に受け取ってます!笑)
それに、病院側が委託経験者を求めており、委託給食側とのやり取りを円滑にして欲しいっていう想いがあったみたいなんですね。その辺も、気付いた事は要望を出したり、献立チェックの時とかは自分の経験が大いに役立ったと思います。
委託給食から直営に行きたい方、自信を持って挑戦して下さい!!(上からですみません…)
次に、悪かった事いきましょう!
〇悪かった事
・給料がグッと下がった事
基本的に悪かった事はほぼありませんでした。笑
人も良かったし残業もないし。本当に優良企業。戻りたい。笑
強いて言うなら給料でしょうか。ホワイトが故の給料というか。
その前は委託給食でバリバリ残業しまくっていたので、時間とお金のバランスって難しいなって実感しましたね。そこからはお金の勉強もするようになりました。
最後に ~何故辞めたのか~
めちゃ良い職場だったのに辞めた理由は、結婚の為に引越しが必要だったからです。
前の委託給食時代に付き合った彼氏だったので、遠距離恋愛だったんです。そしてその彼氏が公務員なので、土地を離れられない…私が戻るしかなかったんです。
事務長や上司もすごく惜しんでくれたのはとても有難かったですね。今考えても、もう1回勤めたいと思うくらいには働きやすい職場でした。紹介してくれたゼミの先生に感謝しています。(もちろん挨拶行きましたよ!)
という事で、ここまで読んで下さりありがとうございました!
次はいよいよ今の職場です!現在進行形で働いていますが、本当に内容が濃いです。今現在も色々あってますしね。お楽しみに★
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